雑感:音と音楽について①

音楽の三要素

よく音楽の教科書などには、音楽の三要素としてメロディー、ハーモニー、リズムが定義されている。

中学校のペーパーテスト対策なら、これをまるっと丸暗記してしまえばそれでよいのだが、(それすらやらなければ、100点満点のテストで7点という黒歴史を作ることになるから・・・うちのムスメのようにw)、趣味とはいえ日々音楽漬けの生活をしている者として、ふと考えてしまうことがある。

音楽って何ですか?

それをちょっと文章にしてみようと思いました。
何か新しい発見をしようというものでもないし、何かを分類しようというものでもないし、ただ何となく考えていることをつらつらと書き連ねるだけです。論文やレポートの類でもないので、裏付けも何もありません。ただ、こういうふうに感じてる、というのを書いてるだけですので。

朝ドラ「エール」の初回、あれは衝撃的だった。原始の時代から現代まで、いくつかの時代の中に主人公たちを置き、広義の「音楽」を表現していた(と思う)。

どんな時代にも人の生活に「音」「音楽」はあった。

自然界には多種多様の音があるし、人間同士の意思伝達手段としての会話も、音声を介して行われるし、そこに音程が伴えば歌になる。文明が発達し、人々の生活様式もそれぞれの文化圏で出来上がり、その生活と密着した民俗音楽のようなものもこの世の中には無数にあるし、あるいは宗教の祭祀典礼の一部として形成され継承されるものもあれば、人為的に作り出される流行歌のようなものもあった。

こうして考えると、音楽って人間の生活と切っても切り離されないもので、生活の一部にあって調和というかバランスをとっていたものだろうな・・・という気がする。

自然にたくさんの音があって、そこに人々の生活する音が加わり、そこから自然発生的に生まれたりあるいはアドオンされたり? アドオンされる音楽には、ある特定の目的をもったものも多々あるような。ハッピーバースデー♪とお誕生日を祝うためのものもあれば、一連の体操を行うためのラジオ体操の曲とか、社員の愛社精神を醸成するための?社歌とか、いろんな種類のものがあるかと。

目的を持った音楽は、使われる場面も限定されるという性質はあるものの、いや、それだからこそ人間の生活との「調和」がある。 逆に、TPOが違えば、違和感しかない。(お誕生日にレクイエム、A社の朝礼にB大学の校歌が流れることはまずないと思う)

対して、そのバランスの取れた調和的な音世界に、いきなり割り込んでくる「音」もある。

例えば、緊急地震速報のあれ。満員電車の中で、乗客の携帯、スマホのアラームが一斉に鳴る。それまでは、車内のちょっとした物音、電車の走行音、電車の外の音などが全部一緒くたに聞こえるのだけれど、「そういうもの」としてバランスのとれた音世界だと思う。

そのバランスを破って、いきなり割り込むアラーム音は、「音楽」ではなく、「音」ですね。人間に危険を知らせるため、注意喚起させる必要があるから、あえてあの音量で、あの音が鳴るのだと思う。

たぶん、多くの人にとっては「心地よい音」ではないし、びっくりする。だけど、みんなその音の意味を知っているから、人はその音を拒絶したり嫌悪したりはしない。(たぶん)

誤報だったら、情報の提供者に「おいおい・・・」とは思うけれども(笑)

調和した音楽、有用なサイン音・・・これらは、生活に密着していて、好意的に受け入れられるもの。

しかし、すべての「音楽」や「音」がそうではなく、「騒音」とされるものもあるのが現実ですね。

上の階の住人の足音・・・とか。

緊急地震速報のサイン音が受容されるのはそこに受け手にとって有用な情報が付加されるからに違いないけれど、上階の住人の足音は、受け手には直接的なメリットがなく、むしろ「ないほうがいい」音でしかない。

逆に、お金と時間を使ってもわざわざ「聴きたい音」というのもある。コンサートを聴きにいったり、CDを買ったり。

私のヴァイオリン演奏は、間違いなく「騒音」です。TPOを問わず。
自分自身でさえ、それを「騒音」としか認められないシロモノですから。

それより少しマシなピアノ演奏は、ひとさまに聴いていただける場合もある。
しかし、TPOをわきまえなければ「騒音」になる。

防音環境のない一般住宅で、深夜3時にピアノを弾いたら「騒音」でしかない。大多数の人がその時間は就寝中なのだから。

楽器演奏は〇時まで、と決められている住宅も少なくない。だけど、それは演奏する側の権利ではなくて、聴かされる側の我慢のリミットなのだと思う。

隣人は、好きでもない音楽、しかもたいていは練習中の曲を何度も何度も、何時間も聞かされる側の立場なのだ。本当ならそんなものは「ないほうがいい」に決まっていて、「騒音」でしかない。

だけど、住宅事情から「お互いさま」で、「〇時までは許容してね」にすぎないと思う。

そう、音楽を演奏する行為も、その場所でその音楽がない状態(少なくとも、調和状態である)に突如として音をアドオンする行為なのだから、

演奏者はその調和のとれた状態をぶち壊すことなく、そこに音を重ねていくという意識が必要なのだろうな・・・と思う。
そういう意識をもって演奏されるものが「音楽」(「騒音」ではない、という意味の)なんだろうなぁ。

(続く)