人生観が変わった日

2011.03.11

その時

その日のことを振り返ります。

当時の私は、旦那氏は大阪に単身赴任中(まる5年になろうとしていた)で、フルタイム激務のワーママしながらムスメと「ほぼ合宿」の日々を過ごしておりました。

その日も、朝6時にムスメの部活用のお弁当を用意し、ムスメを叩き起こしたあと、出勤。朝7:30頃にオフィス最寄り駅(新宿区内の地下鉄沿線)に着き、「駅に向かう」(←おかしいw けど、誤記ではない)仕事仲間にすれ違いざま「お疲れさまです!」「おはよ~っ!」と元気な挨拶をしつつオフィスへ。

3月前半というのは、当時担当していた案件では一種の「修羅場」な時期でありました。官公庁案件を担当していたので、年度末の「納入」に向けた審査会というのがお客様と自社の間で行われる時期。部署的にはそういう案件がいくつも走っているわけですから、それぞれ担当の案件を複数抱えて大変な時期ですしね。駅ですれ違った同僚は昨晩から徹夜なんだろな・・・そしてそのまま客先に出社するんだろう。私も3日前はそれに近いことしてた。そんな時期だから、意外に昼間にオフィスにおいる人は少ない。私はその年度の自分の案件はほぼ終了していたので、残処理的なことと、それまで先延ばしにしていた別案件の打ち合わせなどがあったので出勤していた。午前中に打ち合わせを終え、ランチをとって、午後は比較的のんびりと事務作業をしていた時だ。

14:46

来た。

私は「あの日」を思い出した。1995/01/17。スキーから帰ってきて、自宅で出勤準備していた時、机の上のCRT!!が揺れ始めた。(当時はまだ独身で京都の実家にいたのだけれど、仕事柄?机にはデスクトップPCのモニタ・・・CRTが置いてあったのです) その状況が鮮明に思い出された。

オフィスの机にある液晶モニタが揺れた。揺れはどんどん大きくなる。ヤバいぞ・・・これ。大きい! しかし、ここではないな・・・。

揺れがおさまった時、すぐに私はオフィスの固定電話を手にとった。オフィスの電話はすでにIP電話に切り替わっていたのだけど、各「島」には1台ずつ局線固定電話がある。その固定電話を取って、旦那氏のオフィスに電話した。

阪神淡路の時に経験している。発災直後は電話が輻輳する。つながらなくなる。
その前に何とか連絡つけなければ。
私用電話なんか普段は絶対にしない。だけど、今は非常時だ。どうのこうの言っている余裕はない。怒られるならあとで怒られればいい。それだけのことだ。

ワンチャンスだと思ってるから、携帯ではなく職場にかけた。旦那氏が出てくれなくても、誰か出てくれた人に伝言を頼めばいい。非常時だから許されるだろう。
幸い、旦那氏は在席していて、電話に出てくれた。

「私は無事。このあと、何とかして帰宅する。この後、通信状態どうなるかわからないから、ムスメの電話フォロー頼む。ムスメは部活行ってる。私の居場所はイマドコサーチで適宜確認して。私も適宜メールするけど、遅延するはずなのであてにしないで」

オフィスで誰かがテレビをつけた。テレビの周りにひとが集まる。私もそこに行き、その時点での状況を確認する。

そこに別フロアから、そのビルに在籍している社員の中でいちばん役職の高い人がやってきて、

「各自、適宜判断して」

とだけ言った。そうでしょうとも・・・そうとしか言えないですよね。

もちろん、会社としても部署としてもBCPは整備されているけれども、年度末のこんな閑散としたオフィスではそんなBCPなど何の役にも立たないのだった。

もちろん、言われるまでもなく、私には「帰宅する」以外の選択肢はなかった。ムスメのこと、守らなきゃ!と思うから。

ロッカー室に行く。阪神淡路の経験から、ロッカーにスニーカーは常備してある。ビル内の自販機でペットボトルを調達し(←コンビニはすぐに空っぽになることは予想した)、歩き出した。

歩き出して

テレビで入る情報は断片的でしかなく、東京のことなどほとんど何もわかっていない。ましてや家までの道中のこともわからないし、自宅近辺のことなど何もわからない。実際、歩き始めて、自分の目で見るものが全て。

10分ほど歩いたところに、盛土の上に作られた墓地が見えたが・・・なんと、その盛土が崩れて、墓石が転げ落ちているのが見えた。新宿の商業地域に差し掛かると、雑居ビルのガラスが割れて、看板が落ちているのが見えた。ヤバいわ・・・これ。新宿西口のバスターミナルに行ってみる。もとよりバスの路線などまったく把握していないのだけど、乗れるところまでバスで行こう・・・という目論見はあっさり崩れ去った。西口バスターミナル、人であふれている。そりゃそうだな・・・道路も混んでてバスが回せないんだろうな。

家まで歩くか。携帯を見ると、旦那氏が私の現在地をチェックしている履歴がある。よしよし、私は元気に帰宅中だよ。「新宿。バス無理。歩く」とメール打つ。

甲州街道に出てみた・・・うへぇ・・・すご・・・車道はクルマでいっぱい、「ほぼ駐車場」状態で、まったく進まない。歩道には5列ぐらいで歩く人でいっぱい。こりゃ大変・・・だけど、みんなで行進するしかないのだな。甲州街道の歩道だと、みんなのペースでしか歩けない。それはそれでしんどいので(私はもっとサクサク歩きたい)裏道を探そうにも、結局また甲州街道に出るしかない・・・というのを繰り返しながら、気持ちだけがどんどん焦っていく。

笹塚まで来た時、自転車屋を発見! 自転車を買う。

あとでこの話をすると、誰にでも驚かれるのだが・・・私にとっちゃ「使える道具は何でも使う」の発想はごく普通なので、迷わず購入。なんせ、笹塚からもかなり遠いわけなので、うちは。裏道を歩くのは結局甲州街道に戻らされてしまうので(いい感じで平行している道がなく、途切れ途切れなのですわ・・・)断念してしまったのだけど、自転車なら多少遠回りでも問題ないし、歩くよりも安全だし。なんせこの時点で夕方になっていて、この先、日没になると一応女性なもので夜道(しかも非常時)というのは危険ですから。

自転車を買うのに予想外に時間を食ってしまったが(同じように考えた人がそれなりにいて、自転車屋で並んで、注文して、サドル取り付けしてもらって、タイヤ調整してもらって・・・となると30分はかかったと思う)、やはり文明の利器はありがたい。そのロスタイムもあっさり挽回でき、裏道を縫って自宅へ。

自宅に着いたらムスメも無事に帰宅していた。自宅のある地域からムスメの通う学校には比較的多くの子が通学しているのも幸いして、10人くらいが集団で徒歩帰宅したとか。あの学校でよかったわ・・・と心底思いました。もちろん、遠い地域から通っている子たちは学校で一晩宿泊させてもらって(茶道教室用の和室なんかも使ったよう?)、非常食も提供されてたようです。

自分の中のプライオリティは意外なほど明確だった

それまでの私は、自ら激務のワーママを楽しんでいたし、ムスメがいなきゃもっともっと仕事ができるのに・・・と思ってさえいたのだけれど。それって、本当にそうだったのかな? 

この日、発災後、仕事のことはこれっぽっちも頭によぎらなくて、最初から最後まで、考えていたことはムスメのことだけ。帰宅してムスメの顔を見たら、ほっとして、涙が出てきた。

「無事でいてくれてありがとう」

それに応えて笑うムスメが、ほんとうに愛おしい。多少、いやいや、随分な「困ったちゃん」ではあるムスメだけれど、かけがえのないムスメ。

それからようやく、オフィスに電話した。オフィスに誰が残っているのかわからなかったけれど、とにかく私は「帰宅します」宣言して、さっさと出てきたので・・・とりあえず「無事帰宅しました」の連絡しとかないとな、と思った。電話に出たのは、同世代の男性で、「電車動くまで新宿で飲むことにして飲んでたんだけど、動かなさそうなのでオフィスに戻ってきちゃった」と言ってましたっけ。
同じ部署で仕事している同世代の人でも、置かれてる状況で全然違うんだなぁ。奥さんがいて子供を安心して任せていられる人だったり、独身だったり、既婚者でも子供がいなかったりすれば、選ぶ選択肢が違うんだな、と。

鼻血が・・・

その数日後、私の身体に異変がありました。鼻血です。生まれてこのかた、鼻血なんて出したことなかったです。

放射線との関係があるのかないのか、いろんな説があるようですが、後にも先にも、私が鼻血を出したのはこの震災直後だけでした。あまりにも連日鼻血が出るので、耳鼻科で鼻の中を焼灼してもらってようやくおさまったのですが・・・。

2021.03.11

あれから10年

ここ最近、「あれから10年」として各メディアがいろんな特集を組んでいます。それにはたいてい「寄付の受付先」が紹介されたりするのですが・・・。あるいは、募金の様子が美談として扱われる。

10年も経って、なんでまだ「寄付」が必要なのでしょう。この10年の間に、一般市民にはとかく増税一直線でした。もちろん、財源の識別は必要だし、関係する自治体のあれこれもあることはわかるのですが、どうして、税金ですべてが賄われず、まだ一般市民が寄付しなきゃいけないのかしら? (他方で、税金の無駄遣いは枚挙にいとまがなく・・・) なので、寄付をするということは、そういう状況を容認していることになると思っているので、復興目的の寄付はするつもりがないです。メディアがそういう寄付を募るというのも、そのメディア自体が今の状況を容認していると思うので、なおさら。

10年の時間

この10年の間にムスメと私はそれぞれ1回、東北に行きました。

ムスメは大学の授業で、私はピアノイベントで、2017年に。この時点で、震災から6年経過しています。

ムスメは中1だったのが大学生になりました。勉強嫌いな子になっちゃいましたが、それでも少しずつ成長して自分なりの問題意識を持って現地に行ったのです。成長しているのですね。

私は退職し、自分の本当に好きなことに時間を使おうと決めました。本当に大事なことを優先できるようになったのかもしれません。

これからの10年

ムスメはこの3月に大学卒業し、4月から社会人デビューします。大きな変化の年です。そして、これからの10年の間に、ムスメは新しい家庭を作り、新しい生命を育むのかもしれません。

私は、ムスメと旦那氏の変化に合わせ、受動的にいろんな変化があるのかと思います。おばあちゃんになったり? おばあちゃんになったら、孫ちゃんをピアノレッスンに連れていこう。ムスメにも3歳でピアノを始めさせたけれど、一番大事な入門初期に、自宅練習につきそってやれなかったから・・・結局、ピアノの楽しさも何も理解できず、上達もせず、5歳でやめてしまったけれど。それは私の責任でもある。孫ちゃんには、ちゃんと付き添って、ピアノが好きになってほしいな。

旦那氏はこの10年のうちに定年退職を迎えるでしょう。

毎日時間を持て余す人にはなってほしくないな。趣味というのは「定年してから」ゼロスタートではなかなかハードルが高いようで、在職中から少しずつ始めておくとよいとよくいわれます。ということは、今からでも何かを始めるといいですよね。夫婦で一緒に楽しめることを見つけるといいかな。

非常時にそなえて

平穏無事に次の10年を過ごせればいいですが、災害はいつなんどきやってくるかわかりません。

私は普段から家にいるし、家の中に備蓄したりしてはいるから、まずは家族に無事に帰宅してほしい。なので、これから都心の企業に入社する予定のムスメに伝えていること。

職場ロッカーに常備すべきもの

①スニーカー

 いわずもがな。

②ジャージのパンツとか

 これ、自転車で困った・・・。スニーカーは常備していたけれど、私が3.11の日の服はタイトスカートでした。自転車買ったはいいけれど、タイトスカートで自転車乗るのはかなりしんどい。(実際、一回コケた)

 会社に泊まることになっても、ジャージあれば過ごしやすいし。

③ペットボトルの水、お菓子

 自販機もコンビニもアテにならない。500mlを2~3本持っておけば、家まではもつはず。

 お菓子は言わなくても、女子ロッカーの常備品だろうけど。

④ウェットティッシュ

 ポケットサイズのでいいから、ひとつ置いておけば、帰宅する途中役立つ。自転車でコケて膝擦りむいた私が言うのだから間違いない。